SOSを発する、ということ

 誰かが自殺すると「なんでもっと早いうちにSOSを出してくれなかったんだ」みたいなことを、周囲の人は言うことが多い。
 実際SOSを出してみて分かったけれど、SOSを出すということは、本当に限界まで精神力と体力を使う。
 SOSを出す出さない、ということ以上に「SOSを出した“から”、そこで力尽きて死ぬ」というパターンが、たくさんあるんだろう、ということが、自分自身を省みて分かった。特に精一杯力を振り絞ってSOSを出したのがスルーされたら、それが「直接の引き金」になることは、十分ありうる。

 

 他の人がどう思い、どれだけ言葉を尽くそうと、SOSを出すのは、やはり恥ずかしいし情けないし罪悪感で心がいっぱいになる。
 SOSを出す前よりも、「SOSを“出してしまった”自分は、もう死んでしまった方がいい」みたいな感覚に、私だけではなく、きっと誰もが、多かれ少なかれ、苛まれる。
 それを乗り越える要素となるのは、誰かからの温かい反応だったり、単純に時間だったりして、決して努力とか物の考え方などではない。

 

 時間、というか我慢だ。
 やはり気持ちが本当に落ち込んでいる時は、“2日”も待てない。すぐさま反応がないと、瞬く間に目からハイライトが消え、頭が真っ白になり、立つ気力も失われる。
 「3日は待て。3日は発狂を抑えろ」と、自分自身に厳命できるかどうかが、大きな境目かもしれない。

 

 人によって形や表現は様々だが、SOSが受け止められるかどうかは、完全に運次第だし、“すぐさま”受け止められるかは、さらに運が絡む。その上に少なからず、心ない反応や見当違いのアドバイスも飛んでくる。
 そのすべてを受け入れた上で、「SOSを出した自分」に耐えなければならない。まさに「4重苦」だ。

 

 「こうすればいいじゃないか」と巷で言われていることのだいたい8割方は、「そう簡単にできるものじゃない」。それはSOSを出す、ということにおいてもそうだったし、これからもずっと、そういうことに煩わせられることになるのだろう。